Up 要 旨 作成: 2013-07-14
更新: 2013-07-15


    0.「特個」

    学校数学は一つの生態系である。(『「学校数学=生態系」論』)
    系は,数学では「空間」ということになる。

    数学では,空間を集合と構造で考える。
    集合に構造の入ったものが,空間である。
    構造は,一次的には,要素間の関係である。
    構造は,さらに複雑に考えられるものになる。
    即ち,部分空間と要素の関係が考えられてくる。

    集合としての系の要素は,個である。
    そこで,系の構造は,一次的には,個の間の関係性である。
    系からは,部分空間として,下位の系が多様に発生する。
    系の構造には,これらの下位の系と個の間の関係性も入ってくる。


    生態系において,個は「特個」である。
    「特」の内容は,つぎの二つである:
    1. 所与性
    2. 偶然性

    個の生起は,所与である。
    個は,己の生起については,関われない。
    これが,「所与性」である。

    また,個の生活は,その都度の偶然で構成される。
    偶然には,個の関われない次元がある。
    これが,「偶然性」である。

    個は,己の所与を,自分のその後の生き方の中で,意味づける。
    個は,偶然を,自分がその後の生き方の中で,意味づける。
    そしてこの意味づけは,その都度の意味づけであり,意味づけの変更である。
    即ち,「塞翁が馬」の謂うところである。

    個は,「特個」であるが,社会性をもつものになる。
    ──「大数の法則」が,これのメカニズムである。

    即ち,個の「特」は,数限りなくある。
    個は,一つひとつの「特」では,互いの違いを現す。
    しかし,数限りなくある「特」の積分では,互いに近い値を示し,「みな同じ」を現すふうになる。


    1.「一般形式」

    (1) 「形式」に対する「一般性」の見方

    「形式」は,「一般形式」のように想念される。
    この「一般」の意味は,何か?
    「形式」は,なぜ「一般」が冠せられるのか?

    経験は,「特個」の経験である。
    「形式」は,この「特個」が抜けた相である。
    一般形式は,現実である。
    このことを,認めることになる。
    人は,「特個の転移」の趣で,行動において一般形式を現す。

    (2) 「形式」に対する「社会性」の見方

    「形式」は,「社会性」とも重なる。
    実際,人は社会的生き物である。
    <社会的>を実現しているものは,類似の経験の蓄積である。 (この「類似の経験の蓄積」には,「類似の経験蓄積を系統的に受け渡す」が含まれる。)
    <社会的>を実現しているものは,類似の経験の蓄積である。
    そして,類似の経験には,類似の形式が応ずる。

    (3) 「形式」に対する「生きて働く」の見方


    2.「特個」と「一般形式」の関係づけ