Up | 要 旨 | 作成: 2010-07-14 更新: 2013-01-31 |
実際,「学校数学は何かをするものではない」「学校数学は<何でもあり>」となるとき,学校数学の教育的意味は,成長 (「カラダづくり」) への関与のみが残るものである。 本論考は,ここでつぎの「成長」モデルを考えている:「堆積と風化」 すなわち,「数学の勉強」は,「数学」を「堆積」し,そしてその「堆積」した「数学」が「風化」することを見込むものである。 「数学の勉強」のゴールは,風化造形として現れてくるところのものである。 それは何か? 本論考は,これを「形式陶冶」の謂う「形式」と解釈する。
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