Up 「無用の用」 作成: 2011-09-03
更新: 2012-12-11


    数学の勉強は何のため?
    「ためになる」の意味を「勉強した数学が道具として使うものになる」にするとき,「数学の勉強」はためにならない。
    では「数学の勉強」はやめられるか?

    数学の勉強をしないこと,特に成長期にしないことは,考えられない」の実感がある。
    「数学の勉強をしないときの,成長における損失」の漠然とした思いがもたれる。

    本論考は,つぎを立論しようとする:
      「数学の勉強」で勉強した内容は,使うことがない。
      勉強した内容も,忘れていく。
      一方,この勉強は,成長の要素であり,必要である。

    形としてこれは,「無用の用」論である。
    本論考は,この「無用の用」を,つぎのように解釈する:
      「数学の勉強」は,ある傾向性がつくられるためである。
      そして,傾向性のでき方は,<風化造形>である:
        「数学の勉強」は,<堆積>。
        勉強した内容を忘れることは,<風化>。
        このメカニズムが傾向性を現すプロセスは,<風化造形>。

    このときの傾向性が,「形式陶冶」でいう「形式」である。
    そこで上の解釈は,転調されてつぎのようになる:
      「数学の勉強」の「無用の用」は,形式陶冶。