Up はじめに 作成: 2014-09-07
更新: 2014-09-20


    現前の数学教育学は,「学校数学をよくする」を構えとして,つぎの論考をつくる:
      「学校数学をよくする」とは,何か (what)
      「学校数学をよくする」は,なんのため (why)
      「学校数学をよくする」は,どのようにする? (how)
    ここでは,「よい」が先取されている。「是非・進歩」の当て込み (決め込み) がなされている。

    「よい」「是非・進歩」は,本来論点である。
    学校数学は人の営みの系であり,端的に「生態系」である。 そして,「生態系」の含蓄として,是非/進歩とは無縁である。
    実際,学校数学の「よい」の考え方が多様であることに示される「何でもあり」,そして学校数学の歴史に観取される「同じことの繰り返し」は,このことを裏付ける:
      共時的現象:「何でもあり」    (「是非と無縁」)
      通時的現象:「同じことの繰り返し」(「進歩と無縁」)
          (合わせて,「是非・進歩と無縁」)


    いま,「是非/進歩とは無縁」の理論的捉えを,数学教育学の一分野と定めることにする。
    この学は,「学校数学をよくする」学の「する」論 (実践論) に対し,「なる」論 (自然科学) を行うものである。

    「なる」の主語は,「する」の主語が<個>であるのに対し,<系>である。
    一般に,<系>は<個>の集合に力動的な構造が加わったものである。
    数学は,集合に構造を導入したものを「空間」と呼ぶ。 「空間」のこの意味において,<系>は空間である。

    数学が集合と空間の区別を明確にするように,系は個の延長ではない。
    両者は,次元の異なるものである。
    この「次元が異なる」の意味を問題にしたのが,「ミクロ・マクロ問題」である。

    「ミクロ・マクロ問題」の謂う「ミクロ・マクロ」を用いるとき,いま数学教育学の一分野と定めようとするところの「学校数学=系」の学は,「マクロ数学教育学」と表現できる。
    本論考は,「マクロ数学教育学」定立の論である。

     註 : 「マクロ数学教育学」の表現は,「マクロ経済学」のもじりでもある。
    即ち,「マクロ経済学」との類比も想定している。
    ただし,「マクロ数学教育学」の「マクロ」は,あくまでも「ミクロ・マクロ問題」の謂う「マクロ」である。「マクロ経済学」の「マクロ」との異同は,マクロ数学教育学の直接配慮するところではない。