Up 「是非/進歩と無縁」と「よくする」の両立 作成: 2014-09-16
更新: 2014-09-16


    「学校数学=生態系」は,個が行動する<生きる>を動因にする系であり,そしてこの<生きる>の行動のうちに,「学校数学をよくする」(常識) に促されるタイプの行動が含まれている。
    「学校数学をよくする」は,「学校数学=生態系」の契機の一つであり,この意味において「学校数学=生態系」の要素である。

    一方,学校数学は,マクロ現象として,学校数学の「是非/進歩と無縁」を現す。
    「是非/進歩と無縁」は,「よくする」の常識と表向き対立する。
    「表向き対立する」というのは,「二つを横並びに見るとき,対立に見える」ということである。
    実際には,両者は,次元/レベルを異にする事態である。

    「よくする」は,「学校数学=生態系」の契機である。
    そして,「学校数学=生態系」は,「是非/進歩と無縁」となる。
    ここに構造的な矛盾はない。

    「よくする」の常識に促された個の行動は,学校数学の「よくなる」に延長しない。
    これが要点である。
    「よくする」の実践が「よくなる」を実現すると思うのは,「<個>の延長が<系>」の思いに因る。
    数学の言い方を用いれば,「線型」の世界観に因る。

    <個>と<系>の実際の関係は,「非線形」である。
    「延長」でないのは,複雑系科学の言い方を用いれば,「創発」が入ってくるからである。