Up 学校数学のマクロ系は,生態系 : 要旨 作成: 2014-07-26
更新: 2014-09-20


    学校数学のマクロ現象は,「学校数学の改善」「学校数学の進歩」ではない。
    学校数学のマクロ現象は,「学校数学は是非/進歩と無縁」である。

    翻って,「学校数学をよくする」は,どのような存在論 (世界観) に立っていることになるのか?
    「個の延長が系」の存在論である。
    個の実践の延長として学校数学の形を考えるので,「学校数学をよくする」を立てることができる。
    この存在論は,学校数学のマクロ現象である「学校数学は是非/進歩と無縁」が退けるところとなる。


    学校数学のマクロ現象は,学校数学を実際にどのような位相で観たときの現象ということになるか?
    人の営みの系として観たときの現象である。
    端的に,「学校数学=生態系」の現象である。

    学校数学は,人の生きる系の一つである。
    学校数学は,自分の<生きる>を「学校数学」の題目に寄せて表現する個の系である。
    学校数学は,多様なものが棲む
    学校数学は,多様な<生きる>が全体で均衡している系である。
    こうして,「学校数学=生態系」である。

    学校数学に対する社会学的アプローチというのがある。 「学校数学=生態系」をここで立てることには,「学校数学=社会」を立てるのとは区別するという含蓄がある。
    どういうことか?
    <生きる>の意味は,「自分の遺伝子を残す──その限りで自分を保守する」である。 「学校数学=生態系」の要点は,「個」を「自分の遺伝子を残そうとする個──その限りで自分を保守する個」として立てるということである。


    「学校数学=生態系」の<生きる>は,多様な<生きる>が全体で均衡している<生きる>である。
    「均衡」は,「生きる = 生かされる」を含蓄している。

      《 X (学校教員,教育産業,教育行政,数学教育学者,‥‥)は,
    <Xとして生かされる>の枠の中で,
    自身の「学校数学との関接」を表す》

    そして「生きる = 生かされる」は,<生きる>に対するつぎの見方を与える:
      <生きる>は, 「自由で,定まっている


    学校数学は,多様な<生きる>が全体で均衡している系である。
    学校数学の現前は,多様な<生きる>が全体で均衡している相ということになる。
    さて,その相はどのようか?
    「何でもあり」を現す。