Up 「何でもあり」の観取 作成: 2012-09-02
更新: 2014-10-10


    授業者は,自分にとって所与の「数学」,ないし自分が思う「数学」,あるいはさらに,自分が思う「数学よりもっと生徒のためになるもの」を,授業している。

    「数学の授業」は,授業内容が数学であることに拠って「数学の授業」なのではない。
    「数学の授業」は,「数学の授業」の主観が「数学の授業」を自称することで,「数学の授業」になる。

    ここで主観とは,個人から教育行政・ビジネス・学会等々,さまざまなレベル/次元で考えられる主観のことである。
    そして主観とは,そのときどきの主観のことである。

    学校数学として現前するものは,「数学の授業」の無数の主観/相対性である。
    学校数学の現前は,無数の主観/相対性の均衡の実現相ということになる。

    この「無数の主観/相対性の均衡」は,代表形への収束ではなく,多様性の保守になっている。
    すなわち,「何でもあり」になっている。
    学校数学の現前は,「何でもあり」である。

    翻って,学校数学は 《「何でもあり」で立ち,そしてこの形で自身の役割を果たしている》 と見るところとなる。