Up オルターナティブ 作成: 2013-08-18
更新: 2013-08-20


    「批判」のプラグマティックな意味は,相手を負かすことである。
    「形式陶冶説批判」は,相手を負かしたというのではないが,相手からかなりのポイントを取った。
    それは,学校教育のオルターナティブのあること/あり得ることを学校教育界にはっきりと印象づけた,ということである。

    「形式陶冶説批判」は,学校教育のオルターナティブを示唆した。
    この示唆の実現のもとは,論の強さである。
    論の強さのもとは,自信である。
    自分の論の正しさに対する固い信念である。
    『研究』は,これであった。
    『研究』の自信は,これの締めのことばに,はっきりと読み取れる:

    凡そ人格的に発展せざる認識は生命ある認識とは云い得ない。
    児童に於ける人間性に不自然なそして不真実な道を,殊更ら選ぶことに依て頭を練ろうというような立場に立っては,生命ある認識は発展しない。
    現代の数学教育は久しく人の子をその「ふるさと」より奪った前非を悔い,静かに神の裁判を待たなくてはならない。
     (『研究』, p.57)