Up 本論考の謂う「形式陶冶」──古典的「形式陶冶」 作成: 2013-08-11
更新: 2013-08-11


    「形式陶冶」の古典的捉えは,『論語』為政篇のつぎの一節に示されるところのものに近い:
      十有五而志于学
      三十而立
      四十而不惑
      五十而知天命
      六十而耳順
      七十而従心所欲,不踰矩

    即ち,この全体が「形式陶冶」であり,「三十而立 ‥‥ 七十而従心所欲,不踰矩」が「形式」である。
    そして,数学の勉強に対して「形式陶冶」をいうとき,その意味は,
      「「数学の勉強」に対しこれの「形式陶冶」が考えられる」
    ではなく,
      「「数学の勉強」は「学」の一部として「形式陶冶」に与る」
    である。

    この「形式陶冶」の概念はひどく漠然・曖昧模糊としたものであるが,数学の勉強に志しそしてこれを行ってきた者が抱く「自分の成長における数学の勉強の意味」は,これである。 実際,数学の勉強に「形式陶冶」を見る所以は,この感想の他にはない。