Up 「形式陶冶説批判」とは何であったのか?:要旨 作成: 2013-08-17
更新: 2013-09-07


    『研究』は,教育の体(てい) をなしていない当時の学校教育を批判するのに,「形式陶冶」を<諸悪の根源>にした。
    そしてこのとき『研究』が「形式陶冶」としたものは,「作用主陶冶」であった。

    今日ひとが「形式陶冶」に対し抱くイメージ,これの受け取り方は,「形式陶冶説批判」の論説に大なり小なり影響されている。
    そこで,「形式陶冶」とは何か?を,ここで論じることにする。

    論考する主題は,本論考が主要と考えるつぎの3つである:
    1. 「形式陶冶」と「作用主陶冶」の位置関係
    2. 「形式」の意味
    3. 「形式陶冶」の論考における作者の年齢の意味

     註 : 特に,本論考は,形式陶冶説批判が論点にする「論理 -対- 直感」「実用」「生活」といった内容については,特に言及せずに済ます。
    実際,これをやるのは,なかなかに面倒くさいことになる。
    面倒くさいことになるのは,これらの主題において,「形式陶冶説批判」はひどく論点のズレた論考になるからである。 ──ひどく論点がズレた論考に対しては,論点をただす作業だけでも,けっこうな仕事量になる。