Up 作用主陶冶説批判 (形而上学批判) の限界/無力 作成: 2013-08-11
更新: 2013-08-11


    『研究』の批判は,形而上学批判である。
    言い換えると,『研究』は,「これは形而上学である」という物言いが批判として成立すると考えている。
    そしてこれは,逆に言うと,「これは形而上学である」という物言いの他に批判の仕方をもたないということである。

    「作用主陶冶」の思考法──そのもとになる能力説・認知科学の思考法──は,西欧思想・哲学の伝統 (主流) である表象主義/合理主義の系譜の上にある。
    表象主義/合理主義は,形而上学である。
    よって,「作用主陶冶」(能力説・認知科学) にとって,「これは形而上学である」の物言いは,批判でもなんでもない。

    これは形而上学である」の物言いは,批判として通じるところと通じないところがある。
    そして,表象主義/合理主義に拠って立つところは,通じないところである。
    特に,数学教育学は,通じないところである。