Up 形而上学批判 作成: 2013-08-11
更新: 2013-08-11


    『研究』は,「作用主陶冶」をどのように批判しているか?
    「これは形而上学である」と定めることを以て,批判としている。
    『研究』の批判は,形而上学批判である。

    元来吾々の経験従て又学習は具体的一元的のものであって,其処には形式を離れた内容も無ければ,内容を離れた形式もない。 形式とか内容とかは,具体的な一元的な如実の経験に,吾等が反省を加えて抽象した単なる概念である。 吾等の経験に於て内容を離れた形式が存在すると云うが如きは,極めて幼稚な形而上学的の考である。
     (『研究』, pp.37,38)

    凡そ経験に於ける形式と内容とは具体的には一如である。 能力説に依れば吾々の精神には,作用に対して作用主としての能力があるというのであるが,‥‥ 作用ある以上作用の主があり,現象ある以上その現象を惹き起す主がなくてはならぬというのは,幼稚な形而上学に過ぎない。
    ‥‥
    作用の外に作用の主はない。現象の外に現象の主はない。 作用の外の作用の主,現象の外の現象の主は,概念による分析の結果であって,事実に当るものではない。
    ‥‥
    推理とか判断とかいうのは,‥‥決して推理力とか判断力とか云わるべき能力が本来実在して居って,その特殊能力が発現したのではない。
     (『研究』, p.38)