Up 作用主陶冶説批判の哲学:要旨 作成: 2013-08-21
更新: 2013-09-04


    『研究』は,当時の学校教育の形を「形式陶冶」の思想に溯行し,「形式陶冶」を「作用主陶冶」に解釈し,そして「作用主陶冶」のアイデアのもとである「作用主が作用する」(能力説) を批判する。
    こうして論点は,「作用主が作用する」批判にどのような論法を用いるかに移る。

    『研究』が用いる論法は,形而上学批判である。
    即ち,「作用主が作用する」を形而上学として批判する。

    能力説は,行為の「‥‥する」を「作用主が作用する」(「‥‥する力が‥‥する」) に分析する立場である。
    この「作用主が作用する」は,表象主義/合理主義から出てくる。
    西欧思想・哲学の伝統 (主流) は,この表象主義/合理主義である。
    実際,「作用主が作用する」は,今日,認知科学に引き継がれている。

    そして,表象主義/合理主義は,形而上学である。
    よって,「これは形而上学である」の物言いは,「作用主が作用する」(能力説・認知科学) を立場とする者に対しては,その立場を認めるものであって,批判するものではない。批判でも何でもない。
    実際,「これは形而上学である」の物言いを批判として用いるということは,自分を反形而上学の思想・哲学に立つ者として示すということであり,それ以上でも以下でもない。

    『研究』に「形而上学」の言い回しを使わせているものは,プラグマティズムの哲学である。
    実際,反形而上学がプラグマティズムである。