Up 作用主陶冶主義は,能力主義出口論の含意 作成: 2013-08-15
更新: 2013-09-05


    作用主陶冶主義は,学校数学が能力主義の出口論を立てることの必然である。

    学校数学は,目標・目的を出口論の形で立てる。
    出口論は,自分および相手にとっての
      • 文言のわかりやすさ
      • 考えやすさ
    が理由になって,「‥‥する力がつく」という言い方になる。
    そして,これを出口とする学校数学は,意味づけが「‥‥する力の陶冶」になる。
    実際,学校数学では,「‥‥する力の陶冶」を標榜する教育がつねに現れる。

    「‥‥する力の陶冶」の標榜は,だいたいが,「‥‥する力」の捉えにおいて思考停止を自身に許す体(てい) になる。
    即ち,「‥‥する力」は箱物であり,「そのうち埋まるだろう」でこれに対するわけである。
    しかし,これは埋まらない。
    なぜなら,もともと埋まるものでないからである。

    そもそも,学校数学の意味・理由をことばにしようとすれば,「‥‥する力の陶冶」の言い回し,ないしこれに類する言い回しに,どうしてもなるしかない。 ことばとはそういうものだからである。
    このことに自覚的で「‥‥する力の陶冶」の言い回しをするのならよいが,だいたいが,自覚なしにやってしまう。

    『研究』は,「‥‥する力の陶冶」を標榜する教育がどんな形の論難を受けることになるものであるかを,示す。
    これは,「‥‥する力の陶冶」を口にする者に対し,自分のこのときの思考停止・無自覚を意識させるものになる。
    学校数学では「‥‥する力の陶冶」を標榜する教育がつねに現れるわけであるから,『研究』のこの内容はいまもこれからも通用する。