Up | 学校数学はただ運動する | 作成: 2012-12-26 更新: 2014-02-20 |
事実はそうではない。 学校数学は進歩するものではないということである。 ひとは,歴史に「進歩」を見たがる。 しかし,歴史は,右肩上がりの上昇運動ではない。 攪乱・均衡回帰の繰り返しや振り子の行ったり来たりの繰り返しである。 この変動に<意味>や<価値>はない。 ただ変動すべく変動しているだけである。 変動しているものは,系である。 変動は,系の含意である。 系が現前しているとは,変動しているということである。 学校教育は,<生きる>系である。 <生きる>は,<運動>を含意している。 この運動は,「進歩」ではない。 攪乱・均衡回帰の繰り返しや振り子の行ったり来たりの繰り返しが,観察されるのみである。 ひとは,教育を,進歩すべきものとする。 進歩がないのは,非難されるべきことであるとする。 この考えのおおもとには,「進歩」を善とし「進歩しない」を悪とする考え方がある。 しかし,もともと,人・社会・自然に進歩はない。 人・社会・自然は,運動する。 人・社会・自然は,ただ運動する。 自身の存る形として──それ以上でも以下でもない形として──運動する。 学校数学は,運動する。 学校数学は,ただ運動する。 自身の存る形として──それ以上でも以下でもない形として──運動する。 その運動は,<繰り返し>を基本形とする。 |