Up 要 旨 作成: 2012-12-12
更新: 2012-12-12


    数学の勉強は何のため」と言うときの「数学の勉強」を,わかっていることにはできない。
    「数学の勉強」は,現象として存る。
    そして多様である。

    この多様性は,「本質に溯れば一通り」というものではない。
    そこで,「数学の勉強」は,カギ括弧つきとになる。

    ここで,「数学の勉強は何のため?」の問いに戻る。
    この問いは,「勉強した数学は使うことになるのか?」の問いを経由した「無用の数学の勉強は何のため?」の問いである。
    実際,一般者の「数学の勉強」は,勉強した内容を使うようにならないものである。
    勉強した内容を使うようにならないのが,一般者の「数学の勉強」である。

    本論考がここで主題化する「数学の勉強」は,この一般者の「数学の勉強」である。
    これを,カギ括弧つきの「数学の勉強」で表す。
    本論考の謂う「数学の勉強」は,「無用の数学の勉強」であり,「使う数学の勉強」を除外したものである。