Up 「何でもあり」論の方法 作成: 2009-09-08
更新: 2013-06-19


『学校数学「何でもあり」論の方法』

    1. 学校数学は,<数学を教える>ではない

    学校数学は,ふつう,<数学を教える>をやっていると思われている。
    これは,本当か?
    実際,算数・数学科で,教員は数学を教えているのか?
    なぜこのような問いになるかというと,教員は数学を教えられる者ではないからである。

    <数学を教える>であることのできない学校数学は,<何でもあり>になる。


    2. 学校数学は,一つの生態系

    学校数学は,<生きる>系である。
    この系は,多様な要素・モジュールで構成されている。
    そしてこれらは,系の運動をつくる多様なモーメントとして機能している。

     運動の一例:
      学校数学は,《教育目的が新しい装いで立てられ,この目的達成のムーブメントが起こる》を自身の活性にしている。
      ムーブメントは,系の攪乱である。
      攪乱はやがて収まる。そして,定常均衡への回帰となる。
      攪乱でプラスマイナスをつくり,そしてこれがプラスマイナス・ゼロになり,元にもどるというわけである。
      そして,新たな装いでムーブメントが起こる。
      これが繰り返される。

    <生きる>に目的が無いように,学校数学は何かをするものではない。
    学校数学は,ただ生きる。
    学校数学は目的を持たない。

      学校数学が立てる「教育目的」は,方便である。
      「教育目的」は,学校数学の系の活性を生む (「景気をよくする」) ことが,意義である。

    そして,<生きる>が<何でもあり>を現していくように,学校数学は<何でもあり>である。