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「授業等価」論へ
作成: 2013-06-10
更新: 2013-06-19
「
学校数学は何のため?
」の問いは,つぎの問いになった:
「
自分の
学校数学の勉強は,自分にどんな得がある?
」
自分の学校数学は,学校数学の「何でもあり」の一つである。
「得」は,<形式>であるとした。
「何でもあり」に対し,この「得=<形式>」は保てるのか?
どのような論法を以て,保てるものになるか?
「何でもあり」は,「個々に特個」ということである。
よって「得=<形式>」を保つ場合,その論法はただ一つで,それはつぎのものである:
「
経験はつねに<特個>である。
成長は,<特個>を<形式>に転じる。
<形式>は,「一般形式」の趣きのものになる。
<特個>は<やがて一般に転じるもの>ということで,等価になる。