Up おわりに 作成: 2012-11-30
更新: 2012-11-30


    算数・数学科の現前の授業には,「導入・展開・まとめ」が無い。
    無いのは,教員がこれをできないからである。
    《できないからやらない》の無意識があり,この無意識が「やらない」を合理化する論法をつくりだす。
    この論法によって,教員は《できない》から救われる。

    授業をすることは,「導入・展開・まとめ」をすることである。
    「導入・展開・まとめ」の《できない》から救われるということの意味は,授業の《できない》から救われることである。

    「導入・展開・まとめ」を説くことは,授業の修業道を説くことである。
    しかし,教員はこの修業道に入ることはできない。
    教員は,修業道に入れない格好でそのまま教員として認めてやるものになる。

    こうして,「導入・展開・まとめ」を説く授業修業論は,「導入・展開・まとめ」をしなくてよいを説く授業救済論と合わさって一つになる。

    ただし,修業論と救済論二つのどちらが重要かと問われれば,救済論の方だと答えることになる。
    修業論は,机上の空論になる。
    教員は,修業を行う者ではないからである。
    教員は,修業から救われることを俟つ者である。
    よって,救済論が実際論になる。