Up 授業研究大会での人の集まる・集まらないのわけ 作成: 2012-11-27
更新: 2012-11-29


    授業研究大会で人の集まらないのは,一つは,それがお定まりのものになっているからである。 あるいは,そのように見えるからである。
    お定まりであるとは,開催することになっているから開催するとか,形式的な進行であるとか,プログラムの要素が時間消化のためのものになっているとか,である。

    また一つは,「自分の求めるものはそこには無い」と教員から思われているからである。
    教員が授業研究大会に求めるものは,
      すばらしい授業を自分もできるようになるのか?
       なれるとしたら,何を行えばよいのか?
    の答えである。
    しかも,手近な答えである。
    その答えの形は,<授業のコツ>である。

    さらに教員は,答えが絶対的に示されることを欲する。
    答えを示してくれる者であり,かつ自分が頼り切ることのできる者を,欲する。
    すなわち,教主を欲する。

    翻って,授業研究大会は,教員にとって《自分もできるようになるすばらしい授業を見ることができ,そして教主がすばらしい授業のコツを伝授してくれる》場に仕上がっているとき,人の集まるものになる。