Up | 傾向性 (disposition) | 作成: 2015-11-21 更新: 2015-11-22 |
──よって,かけ算は文化である。 クモにかけ算を教えることはできない。 ──よって,かけ算はカラダである。 かけ算は,文化でありカラダである。 人は,かけ算を教えられたら,これを得る。 このことを,「人のカラダは《かけ算を教えられたら,これを得る》を傾向性としてもっている」と表現する。 《かけ算を教えられたら,これを得る》は,if - then 形式になっている:
実際,「傾向性」とは,「if - then」を形式にするもののことである。 「かけ算は,文化でありカラダである」の意味は,「傾向性」のことばを使うと明解になる:
傾向性の発現は,文化 「文化」は,一般的には「環境」である。 こうして,つぎのようになる:
傾向性の発現は,環境 生物の事象は,「傾向性」で表現できる:
ちなみに,人にかけ算を教えることができてクモに教えることができないのは,人がクモよりも高等だからではない。 実際,クモがつくる蜘蛛の巣は,人のつくれるものではない。 生物の傾向性は,優劣が立つものではない──差異があるのみ。 生物の傾向性は,以前は「本能」と呼ばれた。 ただし,これは,「本能」と呼ぶことで問題を済ませたということである。 「本能」のことばは,専ら問題に蓋をすることに機能した。 いまは,生物学の進歩によって,「傾向性」にもうちょっとアプローチできる。 傾向性は,行動様式であるから,コンピュータ・アナロジーだと,行動プログラムである。 コンピュータのプログラムは記号で書かれているが,カラダのプログラムは,「組織の機能ネットワークの表現」として理解するものになる。 ──「組織の機能ネットワーク」が実体概念である。 「傾向性」を「傾向性の生体機序」の形で主題化する科学分野,それは生物学である。 「傾向性」は,カラダのどのようなメカニズムのものか? カラダの系のミクロなレベルでは,「傾向性」は,カラダをつくっている物質の「if - then」(「化学反応」) である。 系のレベルを上昇していくと,「脳」とか「器官」とかが現れてくる。 「傾向性」は,「脳」や「器官」の「if - then」になる。 これが,蜘蛛の巣をつくる存在を現す。 かけ算を教えられてこれを得る存在を現す。 生体機序は,出来上がっているものを見ても,わからない。 即ち,生体機序は,「分析と再構成」の方法ではアプローチできない。 そこで,「生成」で見てみる。 個体の生成は,一個の受精卵に溯る。 クモが蜘蛛の巣をつくるのは,傾向性の発現であり,そしてその傾向性は生成される。 人がかけ算を教えられてこれを得るのは,傾向性の発現であり,そしてその傾向性は生成される。 ところで,個体はなぜ生成されるものなのか。 「個体」の意味は,「遺伝の実現」である。 遺伝の方法は,生殖である。 個体は,「受精卵から出発する生成」でつくるものになる。 「傾向性」は,「生成できる」の面を見れば,少し簡単に感じられるものになる。 さらに「遺伝できる」の面を見れば,さらに少し簡単に感じられるものになる。 複雑に対し簡単を当て込むのは,複雑科学の方法である。 |