Up 「数学教育学」は商品作物栽培学 作成: 2015-11-05
更新: 2015-11-05


    栽培学は,「商品作物栽培」の学である。
    いま,「商品作物栽培」の「商品作物」を,「人材」にする。
    「商品作物栽培」は,「人づくり」になる。

    実際,商品経済では,人材の価値は商品価値である。
    人材は,商品として流通する。

    実際,人づくりは人を作物とする栽培である
    栽培の土壌があり,施肥があり,世話があり,不良作物があり,選別がある。
    連作障害や土壌荒廃の事態もある。


    日常語で謂う「人づくり」と「商品作物栽培」の違いは,作物に対する行儀作法 (マナー) である。
    「人づくり」では,人を「商品」「作物」に見立てることは,悪になる。
    「人づくり」は,これを機能的に見てはならないものである。

    「人づくり」を機能的に見るときは,「人づくり」の系から出て,その系が見えるところに視座を置く。
    この視座からは,「人づくり」は「商品作物栽培」になる。

    「人づくり」を科学する視座は,この視座である。
    特に,数学教育学の視座である。
    数学教育学において,現前の「数学教育」は「商品作物栽培」になる。
    現前の「数学教育学」は「栽培学」になる。

    「数学教育」は,機能的に,例えば「野菜栽培」と同型になる。
    この同型を見ることは,「数学教育」の本質を見ることである。
    そして,この同型を見ることをさせているものは,科学である。

      人は,マナーに自らを縛り,物事の本質的捉えを自らに禁ずる存在である。
      実際,これが「社会的」ということである。
      マナーに自らを縛り,物事の本質的捉えを自らに禁ずることを習い性にした者は,物事の本質的捉えが出来ない者である。
      その者にとって,「数学教育」と「野菜栽培」の同型を立てることは,思いもよらないことである。
      物事の本質的捉えに向かう形は,「マナーの圏域の外──善悪の彼岸──に出る」である。
      善悪の彼岸,それは即ち科学である。
      科学は,人に「数学教育」と「野菜栽培」の同型を自ずと立てさせる。