Up 栽培学 : 要旨 作成: 2015-10-28
更新: 2015-11-17


    「数学教育学」は,生業である。
    「生業」には,「周りとの適切な関係の構築・維持」の含蓄がある。

    「周りとの適切な関係」のうちに,「相手を傷つけない」がある。
    科学の物言いは,直截的な物言いになり,相手を傷つける物言いになる。
    こうして,「数学教育学」が科学に進むことはない。

      教育は「言葉狩り」を生む有数な土壌の一つである。
      教育では,「このことばで傷つく者がいる」が言われる可能性をつねに考えて,ことばを選ばねばならない。
      商品経済のもとの「人づくり」は「商品生産」であるが,このような言い方は「数学教育学」ではできない。
      数学に不向きな生徒を,「数学教育学」では「不向き」と言ってはならない。「遅進児」と言わねばならない。
      行儀良い物言いをするわけであるが,やっていることは本質隠蔽である。


    数学教育学を行おうとする者は,「数学教育学」と数学教育学の二叉をすることになる者である。
    「数学教育学」では,物言いが相手を傷つけるかも知れないことに警戒し,相手を傷つけるかも知れない物言いを極力慎む。
    そして,数学教育学の方で,直截的な物言いをする。

    しかし,数学教育学を行おうとする者は,既に「数学教育学」を習い性にしてきている者である。
    「直截的な物言い」は,いまから身につけていくものになる。

    こんななかで,数学教育学に適用できそうな「直截的な物言い」の型はないかと,他の分野にあたってみる。
    このとき,浮かんでくるものの一つに,「栽培学」がある。


    「数学教育」は,機能的に,「商品作物栽培」と同型になる。
    現前の「数学教育」は,「商品作物栽培」の「商品作物」が「人材」になったものである。

    この同型を見ることは,「数学教育」の本質を見ることである。
    そして,「数学教育」の本質は,こんなふうに見るものである。

    「数学教育」と「商品作物栽培」の同型を立てさせるものは,科学である。
    「数学教育学」では,この同型を立てることは,「行儀が悪い」になり,やってはならないものである。 ──そもそも,同型自体が思いも寄らないものになる。


    数学教育学における「栽培学」の応用は,つぎの2つの形がある:
      a. 「数学教育」と「商品作物栽培」の同型論をやる
      b. 「数学教育」と「商品作物栽培」の同型を用いて,「商品作物栽培」の内容を「数学教育」の内容に翻訳する。
    後者では,論述のスタイルにつぎの2通りがある:
      b1.「商品作物栽培」を,「比較」「参考」扱いで明示する。
      b2.「商品作物栽培」を,暗黙にする。


    「数学教育学」と数学教育学の位置関係は《「数学教育学」は<改良プロジェクト>,数学教育学は<科学>》であるが,「栽培学」は<改良プロジェクト>の方になる。( §「「数学教育学」と数学教育学の位置関係」)
    「栽培学」は「数学教育学」と同じ<改良プロジェクト>の側のものであるが,「本質隠蔽しない直截的な物言い」において数学教育学が参考にするものになる。
    「数学教育学」と「栽培学」のこのときの違いは,「数学教育学」は「このことばで傷つく者がいる」を考えねばならず,「栽培学」は「このことばで傷つく者がいる」を考えなくてよい,ということである。