Up | 競技・学・道 | 作成: 2016-01-18 更新: 2016-01-18 |
競技の形は,「勝負」である。 勝負に勝つために,技を磨く。 これが「学」である。 勝負を重ねるうちに,勝負に飽きてくる。 物事は何でも,繰り返せば飽きる。 この飽きは,<悟り>に合理化される:
それは,「道」としての学である。 「道」にゴールは無い。 特に,「道」の先に「境地」がまっているわけではない。 「境地」は,ゴールを欲求する心理が<合理化>の機序でつくり上げるものである。 競技・学・道は,人が自分の生きるに意味をつけるために用いる方便である。 生物の生きるは,もともと意味をもたない。 生物の生きるは,生きるの意味の実現ではなく,ただ生きるである。 ただ生きるは,食べて楽しむである。 しかし,人の自意識は,意味をもたない生きるを持て余すように出来上がっている。 そこで,生きる意味・目的を作為する。 意味・目的は,人工である。 商品経済では,「生きる意味・目的」が商品になる。 <「生きる意味・目的」商品>が生産され,消費される。 競技・学・道も,商品になる。 |