Up | 言語崩壊型空論のわけ | 作成: 2016-01-16 更新: 2016-01-17 |
そこで,「思想・哲学は,簡単に流してしまうもの」を,ここで述べておくことにする。 思想・哲学のテクストにあたる者は,ひどくグチャグチャした物言いを相手にすることになる。 実際,テクストの多くは,言語崩壊の様を呈している。 思想・哲学の経験値の低い者は,言語崩壊を「難解」と取り違える。 思想・哲学が立てる主題は,<解明>というものがない主題である。 思想・哲学は,思いつきを述べるのみである。 こうしてつくられてくるものは,空論である。 思想・哲学のテクストは,「ほんとかいな」の相槌を返しながら付き合うものである。 空論には,ことばづかいがまっとうなものと,言語崩壊型のものがある。 「言語崩壊型」は,文学や演劇ではふつうである。 (昔は「前衛的」の位置づけになったが,いまはふつうである──「前衛的」も死語である。) 思想・哲学の言語崩壊型テクストの問題点は,「長い」ということである。 詩は言語崩壊を楽しむものであるが,それができるのは「短い」からである。 思想・哲学のテクストの場合は,そうはいかない。 空論の上に言語崩壊が重なったものであるから,とても長々付き合えるものではない。 <長い言語崩壊型空論>は,どうして出てくるのか。 二つの理がある。 一つは,生態学の主題になる理である。 思想・哲学のテクストは,「大学教員・研究者」を哲学・心理学専門で生業う者が,生業としてつくるところのものである。 これの書き方は,論文作成で身についていく。 論文は,内容の当たってる当たってないは関係ない。 「論文になる」が,第一義である。 「論文」は,哲学・心理学の学会パラダイムに従ってつくるものである。 そして,思想・哲学の場合,《パラダイムに従う》は《言語崩壊型空論をつくる》になる。 <長い言語崩壊型空論>の作者は,論文メモを蓄積している者である。 論文は論文メモの抽出であるから,使っていないメモが貯まっている。 作者は,このメモを使ってしまおうとして,テクストをつくる。 この結果は,「ストーリーが定まっていないダラダラした物言いのテクスト」である。 <言語崩壊型空論>に<長い>が加わるわけである。 <長い言語崩壊型空論>のもう一つの理は,人間心理である。 <長い言語崩壊型空論>は,初心者読者はこれを「難解」と取り違える。 <長い言語崩壊型空論>を「難解」と取り違えるのは,<長い言語崩壊型空論>の作者も同じである。 《<長い言語崩壊型空論>を「難解」と取り違える》は,《<言語崩壊・長い>は空論であることを隠蔽する》を意味している。 <長い言語崩壊型空論>の作者は,自らを騙して《<言語崩壊・長い>は空論であることを隠蔽する》を実践している者である。 思想・哲学邑の外にいる者は,思想・哲学を「言語崩壊型空論」と判ずることになる。 しかし,「言語崩壊型空論」は,邑に棲む者の生業である。 思想・哲学のテクストの一般読者は,このことをよくよく理解している必要がある。 わかっていないと,無駄な混乱・勘違いに嵌まってしまう。 先に,「思想・哲学が立てる主題は,<解明>というものがない主題である」と述べた。 「解明」とはどういうものかを知っていないと,思想・哲学のテクストを<解明>の作業と思ってしまう。 「解明」は,何が「解明」かを定めた理論の言えることである。 何が「解明」かを定められる理論は,規範学に準じた形に自身を整備できた理論である。 数学や物理学,化学は,この類である。 |