Up 思想・哲学は,出尽くしている 作成: 2016-01-14
更新: 2016-01-14


    思想・哲学は,《世界とは何か?》探求の営みである。
    一方,思想・哲学の「世界」のアイデアは,出尽くしている。
    昔から今まで,人の考えることは,大差ない。
    類型で見れば,「世界」のアイデアは,出尽くしている。

    《世界とは何か?》の探求に乗り出す者は,「自分こそはこの探求を遂げる」の思いをもって探求に乗り出す。
    しかし,「人の考えることは大差ない」が,探求の到達点である。

    これは,「思想・哲学は無力」を示しているのか,「思想・哲学は間違った企図」を示しているのか,それとも「世界とはその類のもの」を示しているのか。
    おそらく,ぜんぶである。


    思想・哲学の昔と今の違いは,<衣装>である。
    中身は同じで,衣装替えが頻繁に起こるということである。
    つぎが,「衣装替え」のダイナミクスである:
    1. 科学・テクノロジーが,新しい衣装を与えてくれる。
      即ち,「科学・テクノロジーで理論武装」が,「新しい」の内容である。
    2. 科学・テクノロジーは,あたりまえになる。
      その科学・テクノロジーによる理論武装を自分の新しさにしてきた衣装は,陳腐化する。


    「人の考えることは大差ない」は,実在論と主知論の2極空間である。
    「人の考えること」は,この2極空間のどこかに収まる。

    定位は,カントを2極空間の中心に置くと,わかりやすい。
    実際,カントは「実在論と主知論の中庸」の位置づけになる (「物自体」と「カテゴリー」)。
    主知論も,カントの「物自体」を措いていることになる。

      実在論・主知論の例
      • ギリシャ哲学では,プラトンのイデア論は実在論,プロタゴラスの「人間は万物の尺度である」は主知論。
      • 認知科学は実在論,現象学は主知論。