Up カントの「物自体・カテゴリー」 作成: 2016-01-10
更新: 2016-01-10


    カントの「認識」は,「対象 → 表象 → 概念」を図式とするものである。 (『純粋理性批判』第二部門 超越論的な論理学)
    ここで「表象」は,「視る」を「対象 → 網膜上の像 → 概念」の図式で考えることにしたときの,「網膜像」に相当するものである。

    表象,概念は,それぞれ形式を伴う。
    表象に伴う形式は,空間と時間で,これは「アプリオリな形式」とされる。
    概念に伴う形式は,論理的含意関係であり,これは「カテゴリー表」と称される。

    表象と概念は,1対1に対応するものとして考えられている。
    したがって,「カテゴリー表」は,世界の写しである。


    「カテゴリー表」はアリストテレスの「カテゴリー表」に溯る,とカントは言う。
    併せて,「コペルニクス的転換」──「アリストテレス以来の西洋哲学の伝統のコペルニクス的転換」──を言う。
    「コペルニクス的転換」の意味は?

    アリストテレスの「カテゴリー表」は,世界 (実在) の「カテゴリー表」である。
    カントの「カテゴリー表」は,概念の「カテゴリー表」である。
    ここで,「概念」を,「認識形式」と読む。
    アリストテレスの「認識」は,「世界が所与──世界認識」である。
    カントの「認識」は,「認識形式が所与──世界構築」である。
    アリストテレスの「認識」は,いわば方向が<外から内>であり,カントの「認識」は<内から外>である。
    「コペルニクス的転換」というわけである。


    概念の含意関係は,「文」になる。
    「文」は,「判断形式」に解釈できる。
    こうして,「カテゴリー表」は,「判断」を導く。

    概念は,論理体系をつくっている
    概念の含意関係は,論理的に決定される。
    特に,経験から独立している。
    これは,「判断」が経験から独立していることになる。

    ここに,「アプリオリな形式」と「カテゴリー表」がつながる。
    もっとも,この符合は最初から仕組まれたものであり,予定調和である。