Up | 現象学 | 作成: 2016-01-17 更新: 2016-01-17 |
a. 現象学とは? 認知のフローチャートは,<外的刺激>を原料にして<表象>をつくる機械の図である。 認知科学を行う者は,この機械をカラダがもつと考える者である。 実際は,そのフローチャートは,「認知」の語の含蓄をただ写しただけである。 リアルな認知の観察を要しない,専らことばの上の作業である。 認知科学をする者は,「ただ写しただけ」の意識がない。 人は,ことばにだまされる。 人はいとも簡単にことばにだまされるので,「ことばにだまされるな!」と言うことがそれだけで哲学になってしまう。 「判断停止」をことさら唱えることが,一つの哲学になる。 その哲学が「現象学」である。 「判断停止」は,探求方法論である。 現象学は,「判断停止」を出発点に定める探求方法論である。 現象学は構想で終わる。 実際,現象学は,構想の格好のまま終わるしかないものである。 現象学は,存在の捉え方を示そうとした。 現象学の念頭にあったのは,「意識論はダメだ」である。 現象学は,要するに,意識論を身体論に替える試みである。 これは,「アタマからカラダへ」であるから,多くの分野がこれに引っかかってくる。 とりわけ,心理学,精神医学,教育学である。 カラダは,わからない。 あるいは,カラダは,<わかる>というアプローチに馴染まないものである。 身体論は,構想の格好のまま終わるしかない。 実際,現象学は,構想 (「箱物」) で終わる。 b. 「現象学」という現象──「現象学」生態系 「構想」の意味は,「実現ではない」である。 現象学は,探求方法の実現にはなっていない。 現象学は,「探求方法」の箱物である。 現象学は「判断停止」を述べ,そしてそこでお終いになる。 実際,「判断停止」の後に続く論考は,言語崩壊型空論である。 現象学は,「判断停止」の先をつくれないで,うやむやになる。 これは,つぎを意味する: 「「判断停止」の先は,どつぼ/袋小路」 しかし,現象学は,これで成功なのである。 即ち,商品経済において,成功である。 現象学は,箱物である。 一般に,「箱物」の意義/機能性は,「経済効果」「仕事の創出」である。 現象学は,実の多くの者がこれの論考,テクスト出版,学会運営等で生業うことができた。 いまも,生業として成立する。 |