Up | 「世界」の存在論 : 要旨 | 作成: 2016-01-17 更新: 2016-01-17 |
しかし,「個によって異なる世界」が意識されてくる。 このとき,「世界」は,個の解釈になる。 「実在」は,<「個によって異なる世界」を可能にしているもの>の身分で,その存在が担保されるものになる。 ここにカントが現れ,この場合の「実在」「解釈」をそれぞれ「物自体」「カテゴリー」にする。 「カテゴリー」は,いまの言い方では「認識形式」である。 カントはこの存在論を「アリストテレス以来の西洋哲学の伝統のコペルニクス的転換」としたが,もちろんカントのオリジナルではない。 しかしともかく,存在論は「世界認識」を趣きにするものに変わった。 「物自体」は触りようがないから,「「世界」の存在論」である。 存在論のつぎの展開は,「カテゴリー」の否定である。 「そんなものあるか」というわけである。 ここにフッサールが現れ,「判断停止」を唱える。 「判断停止」の「判断」は,カテゴリーを用いていることになる判断である。 以降,「そんなものあるか」の噴出模様になる。 「カテゴリー」の系譜は「表現主義」がこれを継ぐので,「そんなものあるか」派は「反表象主義」のことばで括られる。 |