Up | はじめに | 作成: 2015-11-03 更新: 2015-11-03 |
学会のいまに至る経緯を溯れば,つぎのようになる:
1938年 「社団法人 日本中等教育数学会」に 1943年 「社団法人 日本数学教育会」に 1970年 「社団法人 日本数学教育学会」に 2014年 「公益社団法人 日本数学教育学会」に 「会」から「学会」への変更は,「学会」でなければならないの思いによる。 この思いには,「数学教育を科学する学として数学教育学を立てる」の思いが含まれる。 ひとが何かを始めるとき,それの意味は「歩きながら考える」の扱いになる。 「数学教育学とは何か」も,「先ずは数学教育学を立ち上げ,歩きながら考える」になる。 ひとは,些事に己を忙しくして,大事を後に回す。 「数学教育学とは何か」も,同様になる。 「数学教育学」は,己の肝心の「数学教育学とは何か」を後に回し,そしてこの問いを思わなくなっていく。 現前の「数学教育学」は,数学教育を科学する学としての数学教育学ではない。 「数学教育学」が科学でないことは,つぎの二面で捉えることになる: 「科学」の意味は,単純である──むずかしいものではない。 即ち,「現前を理が成っている形と定め,その理を探求する営み」である。 物理学が,「科学」のいちばんよい見本である。 現前の「数学教育学」は,「数学教育はどんなのがよいか」を論述で提示する営みである。 この営みは,「現前を理が成っている形と定め,その理を探求する営み」ではない。 「科学」ではなく,「改革プロジェクト」である。 現前の「数学教育学」は,「改革プロジェクト」が機能である。 「改革プロジェクト」が機能であるのは,これが「数学教育学」に求められているものだからである。 対して,科学としての数学教育学は,求めに応ずるという格好で存在するものではない。 これは,科学としての数学教育学は,興る契機をもたないということである。 本テクストは,数学教育を科学する学としての数学教育学の形を論ずる。 この科学の「現前」は,現前の「数学教育」である。 数学教育学は,現前の「数学教育」を理が成っている形と定め,その理を探求する営みである。 本テクストは,「現前は理が成っている形」の言い換えとして,しばしば「現成」を用いる。 「現成」である現前は,「複雑系」である。 「現成」はパラドクシカルな捉えであり,「パラドクシカル」を合理化するロジックは「複雑」になるからである。 翻って,「複雑系」は,現前を現成と捉える形式である。 こうして,数学教育学──現前の「数学教育」を理が成っている形と定め,その理を探求する営み──は,複雑系の科学ということになる。 本テクストはさらに,「人の営み」を強調するために,この「複雑系」を「生態系」と表現することにする。 よって,つぎのようになる:
現前の「数学教育学」は,現成のうちである。 数学教育学は,現前の「数学教育学」が「理が成っている形」になるところの理を論ずる。 現前の「数学教育学」は,「改革プロジェクト」が機能である。 「改革プロジェクト」の理は,「経済効果」である。 数学教育生態系は,とりわけ商品経済の系である。 商品経済は,<経済効果になる>が<生きる>の内容になる。 現前の「数学教育学」は,「経済効果」を理としてこれが成った形である。 学会員は,この「数学教育学」を生業として立てるために学会の員になった者である。 なぜ学会に入るのか。 会員が生業を立てることを支援するために設けているのが学会だからである。 (学会は,研究会ではない。) 本テクストは,つぎの3つを説く: この3つを説くのに,パラフレーズを多く要し,結果この分量になったということである。
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