Up 「数学教育学」: 要旨 作成: 2016-01-08
更新: 2016-01-08


    この「数学教育学」の章では,数学教育学を中心に据えた「数学教育のダイナミクス」を論考する:

    科学の「蓄積と発展」は,定理の積み上げである。
    知ったこと・わかったことを,定理の形にして積み上げる。
    「定理」という形を成り立たせるものが,「理論」である。
    「引用・参考文献」の意味は,「引用・参考定理」である。
    引用されるのは,定理である。
    参考を促されるのは,定理である。

    「数学教育学」は,科学として立つものではない。
    位相は,「改良プロジェクト」である。
    「数学教育学」の「蓄積と発展」は,定理の積み上げではない。
    「引用・参考文献」の意味を「引用・参考定理」にできない。
    実際,「数学教育学」の「引用」は,「<権威>がこう言った」である。
    これは裏返すと,「数学教育学」は<権威>を必要とし,したがって<権威>を設けていかねばならない,ということである。

    「数学教育学」の「蓄積と発展」は,定理の積み上げではなく,論考主題の分化である。
    定理の積み上げを上方展開とすれば,主題の分化は横展開である。
    「数学教育」は複雑系であるから,横展開のネタ探しには困らない。


    科学は「理論と実証」である。
    対して,「数学教育学」は「理論と実践」である。
    そしてその「理論と実践」は,「実践理論と実践」である。
    「数学教育学」は,プロジェクトとして,「実践理論と実践」のスローガンを唱えるものになる。

    実践理論の実践は,「‥‥をすべし」の実践である。
    「‥‥をすべし」は,倫理である。
    こうして,「数学教育学」の「理論と実践」(「実践理論と実践」) は,「倫理と実践」である。
    対して,科学の「理論と実証」は,「論理と実証」である。


    「数学教育学」は,「日本型」と呼べるような特徴をもたない。
    実際,「数学教育学」は,ずっと「欧米追随」である。

    日本の近代は,「文明開化」で始まる。
    日本は,後進国として,西欧化を進める。
    日本の学術は,「横のものを縦にする」を自ら認めつつ,西欧式に合わせてきた。
    そして,日本型をつくることなく,後進国型からそのままグローバリズムに進む。
    実際,グローバル・スタンダードは欧米スタンダードのことであるから,この移行は特別に何かをするでもなく成ってしまうものである。