Up 蓄積と発展」は「主題の分化」 作成: 2015-11-24
更新: 2016-02-08


    「数学教育学」は,科学として立つものではない。
    位相は,「改良プロジェクト」である。
    一方,「数学教育学」自身は,自分を「科学」と定める。
    実際,論文の立場を「科学論文」にする。


    科学論文には,科学の「蓄積と発展」の中に自身を位置づけることが課される。
    論文は,自身の位置づけを「引用・参考文献」で示す。
    これが,「引用・参考文献」の意味である。

    科学の「蓄積と発展」は,定理の積み上げである。
    知ったこと・わかったことを,定理の形にして積み上げる。

     註 : 「定理」の意味は,「白黒がつく」である。
    白黒をつける方法は,つぎの2通りである:
       a. 推理 (演繹)
       b. 反例
    翻って,科学は「推理・反例」の方法を定めていることが条件である。
    科学は「理論」を形にするが,理論の理論たる所以は「理論の枠組」である。
    それは,統辞論 (「推論形式」) と意味論 (「公理」) のセットである。
    「推理・反例」は,この枠組の上に可能になる。

    科学の「引用・参考文献」は,「引用・参考定理」がこれの意味である。
    引用されるのは,定理である。
    参考を促されるのは,定理である。


    「数学教育学」は科学ではない。
    「蓄積と発展」も,科学のいう「蓄積と発展」ではない。
    実際,「蓄積と発展」を定理の積み上げとして行えない。
    「引用・参考文献」の意味を「引用・参考定理」にできない。

    「数学教育学」の「引用」は,「誰某がこう言った」である。
    論文は,「誰某がこう言った」を「引用」として成立させねばならない。
    どのようにするか。
    「誰某」に,<権威>を用いる。
    だれが言っても・書いても同じものになるものを,「<権威>の」と記して引用文献一本にする。
    実際,「誰某がこう言った」を「引用」として成立させる方法は,基本的にこれしかないわけである。

    これは裏返すと,「数学教育学」は<権威>を必要とするということである。
    「数学教育学」は,<権威>をつくるものになる。

     註 : この事情は,いわゆる「人文科学」全般のものである。
    人文科学は科学ではない──「蓄積と発展」を定理の積み上げとして行えない。
    論文は,「<権威>がこう言った」を「引用文献」にするものになる。
    一般に,人の組織は,互いに対立する<権威>が生じる。
    「人文科学」も,こうなっている。
    論文をつくる者は,「<権威>がこう言った」で用いる<権威>を選ぶことになる。
    どの<権威>についているかは,セクトになる。
    非科学の「科学」は,セクト主義で落ち着く。
    なお,セクト主義の機能は,「対立」ではない。
    「対立を不毛とし,対立しない」である。
    セクト主義は,「共存」の実現である。

    「数学教育学」の「蓄積と発展」は,定理の積み上げではなく,論考主題の分化である。
    定理の積み上げを上方展開とすれば,主題の分化は横展開である。
    「数学教育」は複雑系であるから,横展開のネタ探しには困らない。 「数学教育学」は,細分の雑多でかさを増やしていく。

     註 : 「かさの増大」は,「進歩」と錯覚される。
    「数学教育学の進歩」を唱える者は,「かさの増大」を「進歩」と錯覚する者である。