Up 「研究者養成」: 要旨 作成: 2015-10-29
更新: 2016-02-08


    研究者養成を行う者は,研究者養成を生業にすることができた者である。
    研究者養成を行う者は,生業として研究者養成を行う。

    数学教育学研究者養成を行う者は,<数学教育学専門の大学教員>を生業にすることができた者である。
    数学教育学研究者養成を行う者は,生業としてこれを行う。


    生業として研究者養成を行うということは,生業の理で研究者養成を行うということである。
    商品経済では,生業の理は市場の理である。
    そこで,生業として研究者養成を行うということは,市場の理で研究者養成を行うということである。

    「研究者養成を行う者は,生業として研究者養成を行う」と「生業として研究者養成を行うということは,市場の理で研究者養成を行うということ」をつないで,つぎの結論になる:
      「商品経済では,研究者養成を行う者は,市場の理で研究者養成を行う者である」

    生業は,個人の思想とは別個のものである。
    研究者養成は,「研究者」として市場が受け入れる人材の育成である。
    研究者養成は,市場が立てる「研究者」の基準に応ずるものである。
    自分が考える「研究者」の基準にではない。


    市場が立てる「研究者」の基準とは?
    学会が示してくるものである。
    学会がかけてくるチェックから,反照的に読めてくるところのものである。
    端的に,現前の「研究者」の平均である。

    研究者養成は,研究者養成を行う者の思いで行うことではない。
    研究者養成のアウトプット像を定めるのは,市場であって,研究者養成を行う者ではない。
    研究者養成を行う者の個人裁量は,「正規逸脱/違反」の意味になる。
      研究者養成のレールは,市場が既に敷いている。
       研究者養成は,このレールにただ乗ればよい。
       勝手なことをしてはならない。
    個人裁量はやってはならないものになるというのが,「研究者養成」生態系の進化(!) である。

     註 : 研究者養成の系の進化は,<管理主義・コンプライアンス体制に進む>である。
    系の中の個は,否応なく管理主義・コンプライアンス体制に取り込まれる。
    「否応なく」の意味は,「受け身的にそして自ら進んで」である。
    管理主義・コンプライアンス体制は,研究者養成の系の必然であり,現成である。