Up 生態学の思想 作成: 2016-02-09
更新: 2016-02-09


    生態学をすることは,系にライフサイクルを見ることである。
    ライフサイクルを見ることは,死を見ることである。
    死を見ることは,現前を<死に向かうプロセス>の進行形と見ることである。
    実際,生態学の主題になる<生きる>は,<死に向かうプロセス>である。
    生態学は,<生きる>を<死に向かうプロセス>として主題にする。

    <死に向かうプロセス>の主題化は,<死への行進のダイナミクス>の主題化である。

    <死への行進のダイナミクス>は,螺旋運動である。
    系の個は,螺旋運動する系の粒子である。
    個は,螺旋運動に自ら飛び込んでいく。
    <系の螺旋運動に自ら飛び込む>というのが,個の存在様式である。
    個の<生きる>は,<系の螺旋運動に自ら飛び込む>である。

    螺旋運動は,死への螺旋運動である。
    螺旋運動の先は,死である。
    螺旋運動は生長の無限運動であるが,生長の資源は有限であり,物理的に保てる身体の大きさは有限だからである。


    以下のグラフの指数関数的右肩上がりは,何を示しているか。
    螺旋運動を示している。
    見るべきは,「生産拡大と人口増加のいたちごっこ」の螺旋運動である。
    そして捉えるべきは,「この運動は,系の破滅/死に至るまで止まりようがない」である。





『平成12年版科学技術白書』より          
── 但し,年スケールを統一,および一部データ追加)


    螺旋運動は,死ぬまで終わらない/終われない運動である。
    螺旋運動は,一旦これに入ってしまったら,死ぬまで抜けられない運動である。

    「環境保全」「持続可能性」の声が喧しいが,この類のスローガンは事実隠蔽の効用しかない。
    「環境保全」「持続可能な開発」は,端的に,存在矛楯である。

    「バブル」は,一時期の現象ではない。
    螺旋運動は,バブルの運動である。
    ひとは,バブルの生き方しかできない。
    バブルは,ひとの系の定常相である。
    バブルは,現成である。


    数学教育生態学は,現前の「数学教育」「数学教育学」に対し,死に向かう螺旋運動プロセスとそのダイナミクスを捉えようとするものである。

    「数学教育」「数学教育学」は,拡大路線を歩んできている。
    その拡大路線は,螺旋運動である。
    「数学教育」「数学教育学」は,拡大路線を歩むのみである。

    量は質に転換する。
    「数学教育」「数学教育学」は,文字通りのものではなくなる。
    図体が大きくなることは,自分ではいられなくなることである。
    怪物への変身は,アタマも変わるということ,アイデンティティーも変わるということである。

    数学教育には,もともとスケールの分相応がある。
    数学教育は,一斉教育に拡大すると,自分を保てない。
    「量から質への転換」の法則によって,別物/怪物になる。

    数学教育生態学の主題は,これである。
    数学教育生態学は,数学教育の「量から質への転換」を,現前の「数学教育」「数学教育学」に捉えようとするのである。


    「数学教育学」は,<生>を謳う。
    数学教育学/数学教育生態学は,<死>を謳う。──「数学教育学」が謳う<生>に「死へのまた一歩前進」の読み方をする。