Up | 「数学が必要」: 要旨 | 作成: 2016-01-02 更新: 2016-02-04 |
時代は,「文明開化」である。 「殖産興業・富国強兵」にとって「数学が必要」となる。 その「数学が必要」は,「産業の基礎科学のさらに基礎学として数学が必要」である。 時代は変わる。 国が経済的に豊かになることに,自由意識・権利意識の高まりが随う。 併せて,学校教育の規模拡大が随う。──高等教育を受けることが一般化する。 ここに,数学教育に対する「産業の基礎科学のさらに基礎学として数学は必要」の理由づけが,時代と合わなくなる。 数学教育は,「全ての者にとって数学は必要」を存在理由にするものに,変わらねばならなくなる。 こうして,数学教育は「一般陶冶」を立てることになる。 そして出てくるのが,「数学的○○」である。 「数学的○○」の向かう先は,《授業が数学の授業でなくなる》である。 しかし,学校数学は,《授業が数学の授業でなくなる》では済まない。 「産業の基礎科学のさらに基礎学として数学は必要」は,無くならない。 これが,いまの数学教育の状況である。 あとから来た世代にとって,現前の数学教育は所与である。 所与は,《その所以は問わない》という存り方である。 現前の数学教育の所以は,あとから来た世代にとって,思考停止するものである。 その思考停止は,無言の「数学がよいのは決まりきったこと」「数学が必要なのは決まりきったこと」である。 あとから来た世代にとって,数学教育の存在は,「数学がよいのは決まりきったこと」「数学が必要なのは決まりきったこと」のメッセージである。 「数学のよさ/必要」を必要とし,これを前提にする,というタイプの者もいる。 数学教育を生業う者である。 数学教育を生業う者は,数学教育の保持に努める者である。 いまの数学教育を保つために,数学教育の理をつくる。 その理は,「数学のよさ/必要」である。 彼らは,「数学のよさ/必要」を所与にして,「数学のよさとは何か」の論をつくる。 以上が,「数学が必要」の生態である。 |