Up 「数学を教える」は,教員にはできない 作成: 2015-10-27
更新: 2015-10-27


    「数学を教える」は,動作としては「淡々と数学を教える」である。
    これは,学校教員のできないものになる。

    「教える」の中心は,主題の「なに・なぜ」を伝えることである。
    数学の出自は,卑近である。
    「なに・なぜ」は,その卑近である。
    この卑近を伝えることが,学校教員にはできない。

    「なに・なぜ」を伝えることができないのは,自分の受けた数学の授業が,「なに・なぜ」を伝えるものではなかったからである。
    「なに・なぜ」を伝えない数学の授業を受けてきた者がつぎに教える立場になると,「なに・なぜ」を伝えない数学の授業をすることになる。
    「なに・なぜ」を伝えない「数学を教える」は,伝承される。

    数学の得意な者は,「なに・なぜ」を知る者ではない。
    「なに・なぜ」を閑却して数学の問題解きをおもしろく思える者が,数学の得意な者である。

    ふつうは,「なに・なぜ」で躓いて数学の問題に手をつけられない者になる。
    教員は,「数学がわかる」とはどういうことかを知らない。
    そこで,「数学が不得意」を勝手に定めてしまう。
    生徒を「数学が不得意な者」に定める。
    これに応じて,生徒も自分を「数学が不得意な者」に定める。


    「なに・なぜ」は,ずっと学校教員のできないものであり続ける。
    学校教員が「なに・なぜ」を伝えられる数学学習経験をもつようになる契機が無いからである──即ち,数学教育の生態系には無いからである。
    数学教育の生態系は,「なに・なぜ」の無い「数学を教える」で安定している。