Up 学校数学の意味シフトの動因 作成: 2015-12-26
更新: 2016-02-07


    学校数学には,始まりがある。
    学校数学を始めた初心がある。
    この初心が,「学校数学」のそもそもの意味である。

    学校数学の初心は,「産業立国」である。

    明治維新の「改革」は,日本を後進国と定め,列強と伍す国をつくろうとする。
    「産業立国」(「富国強兵・殖産興業」) が国づくりのイメージである。

    国づくりは,人づくりである。
    人づくりは,「産業立国」の人づくりである。
    学校教育が,これを担う。

     註 : 「国を建て直す」は,後進性の自覚とアイデンティティー (自分へのリスペクト) の保持の両方が要る。
    そこで,『教育勅語』となる:
      「學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ」
    「之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」

    産業指向であるから,産業の基礎科学のさらに基礎学として,数学が重く見られる。
    日本国民は,産業の基礎科学のさらに基礎学である数学を,学ばねばならない。
    そこで,「学校数学」となるわけである。


    新しく興されるものは何でもそうだが,学校数学は箱物として出発する。
    取りあえず箱をつくる。
    内容は,思考停止する。
    中身は段々埋まっていくだろうということである。

    学校数学の中身づくりは,生業として立つものになる。
    この生業が「数学教育学」へと「進化」していく。


    現前の「数学教育」「数学教育学」は,「学校数学」の初期の意味をシフトする。
    シフトの動因は,つぎの3つである:
    1. 時代は変わる。
      「学校数学」の初期の意味は,時代に合わなくなる。
    2. 意味は,忘却/世代忘却される。
      初めを知らない者,「初めに溯行」の概念が端から無い者にとって,学校数学は所与になる。
      「数学教育」「数学教育学」を生業う者は,学校数学を所与にする者である。
    3. 「数学教育」「数学教育学」を生業う者は,「産業の基礎科学のさらに基礎学としての数学」の素人である。
      彼らは,基本的に文系であり,ジェネラリストである。
      自分が素人になってしまう学校数学の意味は,生業上,不都合である。
      自分が素人でなくなる学校数学の意味が提起されれば,それにつく。


    こうして,「数学的○○」が「学校数学」の意味になる。
    《「数学」を「数学的」に替える》が,このシフトの核心である。