Up 校種による「人づくり」の違い 作成: 2015-11-08
更新: 2015-11-08


    「人づくり」は,学校種で様相が変わる。

    様相を見る視点にもいろいろある。
    例えば,「生徒=主体」の視点。

    小学校は,生徒の「社会化」をするところである。
    構えは,社会主義である。
    算数科は,「人づくり」をしようとする。
    生徒は,「算数によって人づくりされるべき者」である。

    「社会化」は「一律化」に通じるから,学年・学校種が上がるにつれて,生徒の受け付けるものでなくなる。
    高校になると,生徒には,個人主義・自由主義で応じることになる。
    数学科は,「数学の教授」をしようとする。
    数学の勉強をどう意味づけるかは,生徒の主体性にまかせる。
    生徒は,「数学の勉強を自ら意味づける者」である。

    この一方で,「数学の勉強」は,キャリア形成の意味をもつようになる。
    生徒は,「キャリア形成する者」である。

    「数学の勉強を自ら意味づける者」は,教師にとっても生徒にとっても,扱いにくい存在である。
    「キャリア形成する者」は,教師にとっても生徒にとっても,扱いやすい存在である。
    そこで,数学の授業は,受験数学の授業になる。

      「数学の授業は,受験数学の授業になる」に,「教師は数学の授業をしようと思えばできる──好きで受験数学をやっているのではない」の意味は含まれない。
      受験数学を授業にしている教員は,受験数学だから授業をやれている者である──数学の授業はできない者である。
      実際,算数・数学の授業は,数学の授業ができる者がやっているわけではない。
      算数・数学の授業は,数学の修行と授業の経験値の蓄積の上に,できるようになるものである。
      この修行と経験値が教員の要件になるとしたら,教員になれる者はいない。
      数学の授業は,教員に求めてはならないものである。