Up 現前の「授業」の理 作成: 2015-12-05
更新: 2016-02-08


    教員が「授業」としてパフォーマンスできるものが,「授業」になる。
    現前の「授業」は,教員が「授業」としてパフォーマンスできるものが「授業」になったものである。
    これが,現前の「授業」の理である。
    実際,「授業」は,教員が「授業」として行えるものの他ではない。
    現前は,現成である。

    パフォーマンスできる・できないの制約要因は,つぎの二つである:
      a. 教員の能力
      b. 教員職の道理 (掟・作法・規則)

    「教員の能力」は,つぎの二つである:
      a1. 数学の力
      a2. 授業の力

    数学の力も授業の力も,ともに修行の賜である。
    数学の力の修行は,その中において特段集中的な修業が必要になる。
    授業の力の修行は,教員人生すべてがこれにあてられるというものである。

    教員は,数学の力の修行を負わない者として,在る。
    実際,数学の力の修行を負うことを教員の条件にしたら,教員職は成立しない。
    教員は,授業の力の修行のつねに途上にある。
    教員は,つねに,授業の未熟者である。

    この教員が「授業」としてパフォーマンスできるものが,「授業」になる。
    「授業」に多くを求めることができない所以である。