Up | 生態学-普遍学 : 要旨 | 作成: 2015-10-09 更新: 2016-01-10 |
数学教育学が科学になる形を,考える。 科学は,<現前 (presence)>の科学である。 科学は,《現前を理の実現と定め,その理を探求する》の営みである。 数学教育学が科学する「現前」は,現前の「数学教育」である。 現前の「数学教育」は,商品経済を支える営みである。 <商品経済の支えとなる数学教育>の向上・改革を課題として負い,この課題への取り組みを生業う。 「数学教育」は,商品経済の生業である。
人の現前の「生きる」は,「商品経済を生業う」である。 「数学教育」は,商品経済の生業である。 「数学教育学」も,商品経済の生業である。 ──現前の「数学教育学」は,「数学教育」の企画を生業うものである。 現前は,一つの世界である。 世界は,一つの世界である。 世界を一つ定めるものは,視座である。 視座を変えれば,見える世界が変わる。 科学は,一つの世界の科学である。 現前の「数学教育」を「商品経済の生業」と見るのは,一つの視座である。 数学教育学が科学する世界は,この視座から見る現前の「数学教育」である。 この数学教育学は,「数学教育生態学」(「商品経済下の数学教育の生態系の学」) の趣きのものになる。 <現前の「数学教育」を世界とする科学>としての数学教育学は,「数学教育生態学」である。
「数学教育」の生態学には,「数学教育学」の生態学が含まれる。 数学教育学は,「商品経済の生業である数学教育学」の科学を含む。 このとき,数学教育学は,現前の「数学教育学」のメタ論というものになる。 「生態学」が,メタ論をつくる視座になっている。 「現前を理の実現と定める」は,「現成」の立場である。 「現成」である世界は,「是非もなし」の世界である。 科学は,「是非もなし」を境地にする。 物理学が,この境地の実現態である。 科学は,現成論である。 生態学は,現成論である。 現前の「数学教育学」は,「向上・改革」を立てることで,同時に是非を立てている。 即ち,向上・改革に添うことが是,向上・改革を阻害することが非である。 生態学の視座では,物事は「是非もなし」になる。 数学教育学は,「向上・改革」を相対化する。 生態学は,普遍学を負う。 実際,生態系を見る視座は,ロジックとして,生態系の外に在る。 そしてこの視座は,一つの系に属すると考えることになる。 この系を考えることは,Transzendental をやることである。 普遍学を行うことである。 数学教育生態学は,視座の普遍を立てていることになる。 実際,数学教育生態学の視座は,《現前の「数学教育」が別の「数学教育」になっても視座は同じ》となるものである。 この<視座の普遍を立てる>は,暗黙であってはならない。 数学教育学は,<視座の普遍を立てる>の明示を負う。 数学教育学は,ここで立てている「普遍」を明らかにし,これを数学教育学の内容に含めていくことになる。 それは,「数学教育普遍学」である。 結論: 数学教育学が科学になる形は,「数学教育生態学−数学教育普遍学」。 |