数学は,ルール・ゲームである:
- ルールを定める
- ルールの含蓄になるものを現す
ルール・ゲームは,<ルールに則っている・則っていない>の二値である。
<正しい・正しくない>は無い。
数学は,<ルールに則っている・則っていない>の二値である。
数学に,<正しい・正しくない>は無い(註)。
<ルールに則っている・則っていない>は,人・場所に依らない。
ルール・ゲームは,普遍である。
数学は,普遍である。
国際試合が行えるゲームは,人・場所に依らないゲームである。
即ち,普遍的ゲームである。
そしてそのゲームは,ルール・ゲームである
数学は,規範学である。
数学が普遍だとは,規範学が普遍だということである。
ニュートン力学は,規範学である。
ニュートン力学は,普遍である。
註 : |
数学は,ルールに則っているか則っていないかである。
数学に,<正しい・正しくない>は無い
このような数学が,どうして生活に応用できることになるのか?
生活に数学を応用できるとは,<数学を応用できるように整えた生活>に数学を応用できる,ということである。
生活のうちには,数学を応用できるように整えることのできる生活がある。
<数学を応用できるように整える>が,どうして可能なのか?
数学は,これが可能になるようにつくられているものだからである。
高度に抽象的な数学も,その端緒は,卑近な応用である。
数学の応用可能性は,予定調和である。
以上の意味で,数学は道具である。
数学の「<正しい・正しくない>は無い」は,道具の「<正しい・正しくない>は無い」と通ずる。
(数学は道具である。数学の営みでは,道具にならない数学をつくることができるが,それは「アブストラクト・ナンセンス」として退けられ,日の目を見ない。)
|
|