Up | 普遍学は,「自然」探し | 作成: 2015-12-09 更新: 2015-12-09 |
これは,簡単に言うと (といっても,もともとやっていることは単純なので,簡単に言うしかないのだが),既成・現前に括弧 (「」) をつけるムーブメントである。 このムーブメントでは,表題に「快楽」をつけた書籍の出版が目立った。 「フロイト回帰」も出てきた (ラカン)。 これらのことは,現前に括弧をつけることと,どう関係しているか? 作用には,反作用がある。 <括弧をつける>は,括弧をつける根拠の要求を返してくる。 括弧は何に対してつけているかというと,「人為」「意味」である。 よって,根拠とするものは,「非人為」「無意味」である。 要するに,「自然」である。 その「自然」はどこにあるか? こうしてムーブメントは,学術の面では「自然」探しになる。 「自然」探しは,方法がいろいろ立つわけではない。 実際,「比較行動学」が唯一のものである。 文化人類学とか,動物行動学とか,「無意識」の精神分析とかである。 動物行動学は,「自然」を立てる絶好の (言い換えると,安直な) 場所である。 「快楽」は,この文脈で出てくる。 即ち,人間の<「意味」に基づく行動>の概念は,動物だと<「快楽」に基づく行動>の概念になるわけである。 しかし,この「自然」探しは,科学である。 哲学は,課題が科学になったところで,終わる。 「ポスト・モダン」「ニュー・アカデミズム」はブームとして終わるのみ,というわけである。 数学教育普遍学は,「自然」探しが課題である。 そこで,「ポスト・モダン」「ニュー・アカデミズム」が他山の石になる。 哲学の繰り返しは,無用である。 |