Up 「幻想」論 : 要旨 作成: 2016-01-20
更新: 2016-01-20


    ひとは,幻想をつくってその中に生きるように出来上がっている。
    幻想に生きて,生きるを喪失する。


    幻想の形は,「先に何かが俟っている」である。
    現前は,先にある何かに対して意味づけられる。
    現前は,先にある何かを得るための手段のことになる。

    先を見て,いま・ここを見ない。
    先を見てばかりいるから,いま・ここが見えない。
    よいことを先に望むから,いま・ここは<よいことがあるところ>ではない。


    幻想を解脱して,ただの<生きる>──即ち,意味・目的をもたされない<生きる>──に戻ることにする。
    幻想の中に自閉することで疎遠にしてきたリアリティーが,蘇る。
    リアリティーには,何が見えるか?
    存在のすごさが見える。

    <すごい>は,リスペクトである。
    幻想を解脱するとき,存在がリスペクトするものとして現れる。
    意味・目的をもたない<生きる>の相は,「存在へのリスペクト」である。


    現前の「数学教育」は,意味・目的をつけられた数学教育である。
    意味・目的になる「先に俟っている何か」は,「数学教育」の場合「数学的○○」である。
    「数学」は,「数学的○○」に到達するための手段の位置づけになる。

    数学教育学は,普遍学を「幻想解脱」の相で立てる。。
    意味・目的をはずした数学教育は,「数学へのリスペクト」で成るものである。
    数学教育は,「数学へのリスペクト」が興される場である。
    数学教育学は,この数学教育を<普遍>に位置づけて,現前の「数学教育」の現成論──《現前の「数学教育」は,どういう理によって数学教育から離れるか》──をつくる。