Up <数学を教える>の衰落 作成: 2016-01-19
更新: 2016-01-19


    現前の「数学教育」は,「数学的○○」の「数学教育」である。
    「数学的○○」の「数学教育」は,「数学的○○」の含蓄が展開している様である。

    「数学的○○」は,箱物である。
    「数学的○○」の授業,即ち「生徒が数学的○○を身につけるようになる授業」は,立たない。
    「数学的○○」を唱える者は,<自分ではこれの指導法を立てられない者>でありながら「数学的○○」を唱える者である。

    「数学的○○」は,上意下達の階層を降って,学校現場への丸投げになる。
    学校現場は,「数学的○○指導」の格好づくりに苦慮する。
    「数学的○○」はいまは「数学的リテラシ−」であるが,学校現場は「周りと話し合いましょう」を授業に入れることを「数学的リテラシーの指導」にしている。

    「数学的○○」の効果は,数学教育における<数学を教える>の衰落である。
    数学教育の歴史は,数学教育が<数学を教える>で開始する。
    「数学的○○」の「数学教育」は,数学教育別モノ化路線を敷く。


    <数学を教える>のいまの立つ瀬は,皮肉にも受験数学指導である。

     註 : 受験数学指導の<数学を教える>は,<数学をわからせる>ではない。
    しかし,<数学をわからせる>を学校数学に求めるのは,もともと無理なことである。
    <数学をわからせる>になっていない」は,受験数学批判にはならない。