Up 「系」論 : 要旨 作成: 2014-09-20
更新: 2016-01-22


    数学教育学は,つぎの二つの文脈で,「系」の存在論を要する:
    • 数学教育生態系
    • カラダ

    この存在論──「<系─個>存在論」と呼ぶことにする──は,つぎのものである:
    1. 存在は,<系─個>の構造をとる。
      存在は,<系─個>の個であり,<系─個>の系である。
      特に,<系─個>は連鎖する。
    1. 個は,運動の相にある。
      個の運動は,他の個の運動と齟齬する。
      系は,個の間の齟齬が逐次均衡している相である。

    a について
    これは,物理学が示してくる「世界の<マクロ─ミクロ>連鎖構造」を,そのまま受けるものである。
    b について
    これは,「self-referential な系──力学系」の考えである。


    存在には,個の相と系の相がある。
    そこで,存在の記述には,個の相の記述と系の相の記述がある。
    個の相の記述と系の相の記述は,言語レベルの違いが立てられる。
    個の相の記述は,意図的に実体論を行う。
    系の相の記述は,現象学・力動学を行う。

    「実体」は,存在に対する<個>の捉えである。
    その「実体」は,存在を系の相で捉えるとき,消失する。
    この意味で,<系─個>存在論は,非実体論である。

    <系─個>存在論は,弁証法の謂う「量から質への転化」の表現にもなっている:
      系は,個の集合である。
      個の集合は,これに「量」を見るところのものである。
      この系は,一つの<系─個>の個である。
      個は,これに「質」を見るところのものである。


    <系─個>存在論は,これに類縁の存在論が存在する。
    非実体の存在論では,仏教の「色即是空・空即是色」が屈指である。 ( 『般若心経──「色即是空 空即是色」の存在論』)
    仏教の存在論には,self-referential の存在論もある。 即ち,「縁起」である。( 『中論』)
    self-referential の存在論を最近に求めれば,「オートポイエーシス」や複雑系科学の謂う「複雑系」がある。