Up 『数学教育普遍学探求』: はじめに 作成: 2016-01-27
更新: 2016-01-28


    生態学は,生態系を定め,それを科学する。
    「生態系」という存在は,無い。
    科学にとって,生態系は所与ではなく,定めるものである。

    生態系を定めるにおいて,「水準」を導入する。
    物の高低を定めるところの水準である。
    科学は,水準を導入し,これに対して生態系を定位する。

    数学教育生態学は,水準を用いる。
    数学教育学は,水準づくりを担当する部門を設ける。
    本論考は,これを「数学教育普遍学」とした。


    ロジックとして,水準は,生態系に属していない。
    水準は,生態系のメタ的存在である。

    数学教育生態学を行う者は,数学教育生態系に身を置く者である。
    この者が数学教育生態系の水準を定めることは,メタを振る舞うことである。
    数学教育生態学を立てることは,メタを振る舞うことを自分に許すことである。

    本論考は,このメタを許し,数学教育普遍学とした。
    「数学教育普遍学」の「普遍」は,「水準の普遍性」──《現前の「数学教育」が別の「数学教育」になっても適用する水準は同じ》──を意識したものである。


    数学教育普遍学は,数学教育生態系という現前に対し,現のフィルターを想定し,現の向こうを立論する格好になっている。
    構図的にはイデア論である:
      《イデアが,現のフィルターを通って,現前になる》
    イデアは,仮構である:
      《現前に対し,現のフィルターを想定し,現の向こうを仮構する》
    本論考の「現の向こう」の仮構は,科学の知見を根拠とする。
    本論考は,科学の知見をヒントに,「普遍」を類推・推理する。
    その科学は,おおむね,生物学である。

    本論考は,「水準」を,理想的には「人=生物」に定めようとする。
    「人=生物」は,生物学の内容である。
    「数学教育普遍学探求」は,理想的には生物学の探求である。

      要点は,「相対性」ができることである。
      相対主義ができる科学・知見であれば,何でもよい──何でも用いることができる。
      生物学がいまほど示唆的でなくて,そして人間の生活がいまのように一様化していない昔は,文化人類学を重宝にした。


    本論考が定める「水準」は,これを以て現前の「数学教育」を「商品経済の数学教育」と定位するものである。
    実際,『5. 数学教育生態学』は,この水準を以て,現前の「数学教育」を「商品経済の生業」として論じる。

    「数学教育普遍学」は,もとより論点である。
    本テクスト『6. 数学教育普遍学探求』は,「数学教育普遍学」の論点先取が趣旨である。
    「数学教育普遍学探求」の「探求」は,「先取」を意識したものである。


    『6. 数学教育普遍学探求』は,「数学教育生態学の水準」の論として,『5. 数学教育生態学』と対/表裏を成す。
    『5. 数学教育生態学』が先になっているのは,構成の都合による。
    そこでは,「水準」が暗黙/非明示的に用いられている。