Up 数学道 作成: 2016-01-05
更新: 2016-01-05


    「数学教育」を考えられるためには,数学の勉強とは本来どういうものかを,わかっていなければならない。
    ここで「本来」の意味は,《数学があり,そして自分というものがあるから,数学に向かう》という位相の「数学の勉強」である。
    即ち,つぎのような「数学の勉強」ではない:
    • 「数学の授業を受ける」
        ──授業なので,数学を勉強する
    • 「数学の宿題をする」
        ──宿題なので,数学を勉強する
    • 「受験数学をする」
        ──数学を受験するので,数学を勉強する

    《数学があり,そして自分というものがあるから,数学に向かう》は,「数学道」である。
    数学道の「数学の勉強」は,「修行」である。


    修行には,つぎの3タイプがある:
    1. ゴールを定めている
    2. 修行の先に自分に何かが起こることを見込む──これをゴールとする
    3. ゴールをもたない


    a. ゴールを定めている
    ゴールは,そのゴールに到ったときは,「これはゴールではないみたいだ」となるものである。
    道・修行とは,そういうものである。
    よって「ゴールを定める」は,結果的に「ゴールの仮設」となるものである。

    ゴール仮設タイプの数学道は,仮設ゴールへの到達がなったとき,これに続く道が見出せなければ,そこで止む。
    一方,「これはゴールではないみたいだ」から改めて入る修行道は,本物だということになる。


    b. 修行の先に自分に何かが起こることを見込む──これをゴールとする
    この<見込む>は,根拠のない<見込む>である。
    賭けである。
    この賭けをさせるものは,数学に対する「定めし何かすごいもの」の幻想である。

    幻想タイプの数学道は,幻想が壊れるとき,止む。
    ただし,数学は知の膨大な体系なので,「定めし何かすごいもの」の幻想は滅多なことでは壊されない──保持される。


    c. ゴールをもたない
    これは「数学を勉強したいから,勉強する」である。
    勉強に向かわせるものは,「勉強がおもしろい」である。

      註 :勉強がおもしろい」の他に「自虐」も考えられないではない。
     ──この論考では,「自虐」は考慮の外におく。

    勉強がおもしろい」が動因の数学道は,勉強がおもしろくなくなったところで,止む。
    数学が得意」「数学の問題を解くのが好き」から数学道に入る者は,構造的に,長続きが難しい。