Up | 死生観 | 作成: 2015-10-24 更新: 2015-10-24 |
数学は,数学教育のおかげで,遺伝が成っているわけである。 「数学を勉強する」は,就職と繋がっている。 学校で数学をやるのは,これを将来の就職のために必要と考えるからである。 就職してからも数学をやっているとしたら,それは数学をやることをいまの職に必要と定めているからである。 「数学を勉強する」が廃れずに続いているのは,<就職と繋がっている>の在り方ができあがっているからである。 翻って,<就職と繋がっている>の在り方をつくれなかったものは,廃れる。 伝統技術は,こうして廃れる。 数学の<就職と繋がっている>の在り方は,数学の実用性に溯る。 数学は実用的? 実用部分が数学全体のほんの僅かに見えるとしても,数学は体系的であるから,実用の部分だけを取り出すということはできない。 ──体系をうっちゃった「実用取り」は,危ない。 現前の「数学を勉強する」は,「数学の実用性に溯り,それを見てここに帰ってきた」というのではない。 数学教育の「強いる」のおかげである。 現前の「数学教育学」は,この数学教育を支えているものの一つである。 これが,現前の「数学教育学」の意義である。 「数学教育学」は,この意義において,現前である。 就職と繋がっていない「数学を勉強する」も,ある。 この「数学を勉強する」は,どんな主題になるか。
このときの「数学を勉強する」は,「道」である。 そして,「道」を言い出せば,就職と繋がっていない「数学を勉強する」のうちにも,「道」になっているものがある。 人はそれぞれ,何かを「道」にしている。 これは,人は何かを「道」にする存在だということである。 「道」の機能は,「生活の中心」である。 生活は,中心があると過ごしやすくなる。 「道」は,生活が中心をもち過ごしやすくなるためのものである。 「道」の主題化は,「人はどうしてこのようなのか」の論になる。 「人はどうしてこのようなのか」の論をつくることは,一つの死生観を表すことである。 数学教育学は,生態学を形にしつつ,さらに生物学に進む。 |