Up 真理探究 作成: 2016-02-17
更新: 2016-02-17


    数学は,己を外に示すときは,規範学として示す。
    形式主義/公理主義を,己の立場として示す。

    一方,数学をする構えは,「真理探究」である。

    規範学は,つまらない。続けられるものではない。
    形式主義は,<掃除・整理整頓>において出番となるものであって,探求の目的ではない。
    数学は,真理探究だと思えばこそ,深みにはまっていくものとなる。


    真理探究は,「真理」の幻想を立て,この幻想に存在の重みをもたせようとする営みである。
    単に「存在の重みをもたせる」ではなく,「現前以上の存在の重みをもたせる」である。
    現前を<かりそめ>にして,幻想を<実在 (リアル)>にしようとする。

    これは,プラトニズム (「現前はイデアの反照──実在はイデアの方」) が「リアリズム」と称されるときのリアリズムである。

    数学は,このリアリズムを,確信犯的に──ある者は実際そう信じて──行う。
    一つの定理を探求するときは,世界をこの定理の現れと見なす,というわけである。
    この構えこそが,数学の原動力である。


    数学の精神/情緒──それは「精神リアリズム」である。
    数学の精神/情緒の躍動が,数学の生きている相である。
    規範学として外に示される数学 (数学のテクスト) は,数学の精神/情緒の躍動の跡である。