Up 所与に括弧をつける 作成: 2016-01-02
更新: 2016-01-03


    ロジックとして,数学教育は,「数学の教授とは何か」がわかった上で,行えることである:
      数学の教授は,何をするものか? (what)
      数学の教授は,何のためにするものか? (why)
      数学の教授は,どんなふうにするものか? (how)
      数学の教授は,何がこれの内容になるのか? (realization)

    ロジックとして,「数学の教授とは何か」は,「数学の勉強とは何か」がわかった上で,考えられることである:
      数学の勉強は,何をするものか? (what)
      数学の勉強は,何のためにするものか? (why)
      数学の勉強は,どんなふうにするものか? (how)
      数学の勉強は,何がこれの内容になるのか? (realization)

    ロジックとして,「数学の勉強とは何か」は,「数学のよさとは何か」がわかった上で,考えられることである:
      数学を身につけることの得は?
      その得と表裏の失は?

    ロジックとして,「数学のよさとは何か」は,「数学とは何か」がわかった上で,考えられることである:
      数学は,何をするものか? (what)
      数学は,何のためにするものか? (why)
      数学は,どんなふうにするものか? (how)
      数学は,何がこれの内容になるのか? (realization)

    一方,ひとにとって,数学教育は所与として現前する──「数学教育」。
    所与は,《その所以は問わない》という存り方である。

    数学教育普遍学は,「数学教育」の所以を,はっきりさせようとする。
    「数学教育とは何か」にこだわり,「数学の勉強とは何か」にこだわり,「数学のよさとは何か」にこだわり,「数学とは何か」にこだわる。
    数学教育普遍学は,数学教育に対して持たれているつぎの思いに,すべて「」をつける:
      数学はよいものだ
      数学の勉強はよいことだ
      数学の教授はよいことだ
      数学教育はよいことだ